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EARHOOK Story

あきらめない気持ち

2001年9月11日、国際パラプレジア学会(IMSOP)で脊髄損傷の発表のためスイスに向かう準備をしました。テレビではワールドトレードセンターと飛行機のシーンが何度も流れていました。まだテロの恐怖を理解していなかったので、僕はあまり心配せずに旅立ちました。ドイツでのトランジットでテロリストが空港に潜んでいるかもしれないというニュースが広がりセキュリティが厳しかったですが、なんとかスイスのノットビルという町に到着しました。ノットビルは世界有数の脊髄損傷センターがあり、麻痺患者のリハビリテーションには国を挙げて力を入れている町でした。つい先日、ノットビルで世界パラ陸上ジュニア選手権大会が行われ、日本選手もメダルを多数獲得したそうです。 2001年10月31日、スイスから2ヶ月後。北米脊椎学会(NASS)でタバコと腰痛の実験結果を発表するためにシアトルに向かう予定でしたが、世界中に流れるテロ情報に心配した家族や親戚の強い反対で、シアトル行は断念しました。後にも先にも学会発表を欠席したのはこれが初めてでした。学会は何事もなく終了したと聞きましたが、僕の国際学会のために実験を手伝ってくれた仲間や資金を提供してくれた医局への申し訳なさと、諦めてしまった悔しい思いが残り、今でも忘れられない学会となってしまいました。 この経験は、のちにEARHOOKを商品化する時に何度も立ちはだかった障壁にも、絶対に諦めない信念を持ち続けられたことに繋がりました。 応援してくれる人や仲間が多いほど、自分一人では乗り越えられない目標に向かうことが出来る。先日のノットビルでも、脊髄や身体の障害で一度は諦めかけたジュニア選手が、みんなに助けられ、そして自らも最大に努力をして、パラ競技に挑戦したに違いありません。困っている人には手を差し伸べる、挫けそうなときには応援する、僕たち医師はそんな気持ちで医療に取り組んでいます。 EARHOOKがすべての人に効果があるわけではないことも承知していますが、悩んでいた辛さが少しでも和らいで前に進めたという人がいたら、それだけで諦めずに続けてきて良かったと嬉しく思えます。

ディディトリニティーラボ代表 小田 博

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